株式会社Pro-SPIREソリューション事業部の藤野です。
4月になりました。桜が咲いたり、新生活が始まったり、増税したりと、変化が激しい時期ですね。
長寿のテレビ番組「笑っていいとも!」もついに終了となり、32年の歴史に幕を閉じました。
今日は、32年前頃に低価格化・普及が始まったワープロの歴史についてのお話です。
「ワープロ」という言葉も最近ではほとんど耳にしなくなりました。
Word Processorの略でして、文書作成専用のシステムのことを指します。
ひらがな、カタカナ、漢字が組み合わされている日本語の文書作成には複雑な処理技術が必要です。
そのためパソコンと切り離された、文書作成に特化したワープロが作られるようになりました。
日本初のワープロは1978年に発売された東芝の「JW-10」です。


日本初の日本語ワードプロセッサー 東芝未来科学館
http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/ichigoki/1978word_pro/index_j.htm
当時の仮名漢字変換技術は市場に大きな波をもたらしたそうです。
その後1980年代~1990年代にかけて、ワープロは大きな変貌を遂げていきます。
1982年に富士通が100万円を切る「My OASYS」を発売したのを皮切りに、
各社による激しい価格競争が繰り広げられるようになりました。
My OASYS-コンピュータ博物館 - 情報処理学会
http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0003.html
1984年には、販売価格はおよそ20万円ほどにまで下がり、予測変換などの変換機能も充実するようになります。
その後、技術の発達により、パソコンが Microsoft Word をはじめとするワープロソフトを搭載するようになると
ハードウェアとしてのワープロは徐々に衰退していきました。
調べてみるとなかなか面白いです。
誕生と発展の歴史-コンピュータ博物館
http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/history.html
文書作成ツールに数十万円かかるなんて、現在では考えられない話です。
無料で手に入るソフトもたくさんありますしね。
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